シェイクスピアと仲間たち
シェイクスピアと仲間たち、という名の書店は新刊専門と古書店が2件並んでおり、中はつながっていない。そのため古書店は古書店だけの時間の流れが保たれている。ほとんどの客はドアを開けては「あら、つながってないのね」とだけ言い残して扉を閉める。後に残るのは古書好きの人だけ。すぐそばのセーヌ川は視界には入らないが、遮る物のない広い空のおかげで店内が明るい。全ての本が人の手を渡ってきている、その目に見えない気配の層が棚に並ぶ本の表情を深くする。
扉を開けるとピンクのファーのコートを着てグレーのペレー帽を斜めにかぶった少女が泣きはらした目をしている。店内の小さな椅子に腰掛けてポロポロと涙を流し始めた。店員の青年が優しく話しかける。
「心配いらないよ、今探してもらってるからね」母親とはぐれたらしい。
「どこから来たの?」「アメリカよ」「アメリカのどこ?」「テキサス」「そうか、僕はテネシー出身だよ。そんなに離れてないね」少女はそれに答えず泣きじゃくる。「パリにはいつ来たの?」「..昨日よ」「パリはどうだい?」青年は「ママとはぐれた事以外は」と付け加える。「…まあまあ」「そうか」鼻をすする音だけが店内に響く。電話が鳴る。アメリカ人青年は流暢なフランス語で誰かと話し、「ママってどんな見た目?」と少女に尋ねる。「サングラスしてて、青い髪してる」「オーケー」青年は電話口に向かってフランス語で言う。「青い髪だ。」
少女の泣き声が噛んだ唇から漏れる。静かな音楽も流れている。程なくして窓の外に青い髪のふくよかな女性が現れる。少女は嗚咽しながらドアを開けて、母親のもとに向かう。ありがとうもサヨナラも、言うのを忘れて。青年は一人、肩をすくめる。
何事?と聞くと「ママとはぐれたんだよ。隣の店にいたみたいだ。」
大した事件ではない。
薄いピンクのファーとグレーのベレー帽、金髪に、目を真っ赤にした少女。ブルーの髪。
小さな物語は本棚に戻っていく。
ここにはこの店だけの時間が、流れている。
(初出・GATEWAY #3)